タケチャンのblog

今日がだめなら明日があるさ、明日がだめなら明後日が・・・。何処まで行っても明日がある。

タケアボセ

ネット上では、日本、信じられない!すごい!と言う話題に事欠かない。
特に、日本で財布を落としても、戻ってくる、と言う話が多い。


先日、4月1日に、コンビニで財布を紛失した。正確には、コンビニでたまたま現金で買い物をしたので、そこで財布を使ったところまでは覚えているのだが、家に帰ってきて、財布が無いことに気がついた。すぐ探しに回ったが、コンビニでも預かっておらず、道ばたにも落ちていなかった。


この財布には、運転免許証と、健康保険証は入れてなかったので、少しは安心したのだが、
銀行カードが3枚と、クレジットカードが4枚、他にいろいろポイントカードなどが入れてあった。もちろんすぐ停止し、警察に届けた。


以前にも財布を紛失ことは幾度かあり、近くのドラッグストアで紛失したときは、商品を袋に入れるデスクに置き忘れた(記憶ではそこしか無かった)。すぐに気がつき戻っても無かった。店でも預かってなかった。
このときは運転免許証から保険証、クレジットカードの他、消防設備士免許証やらいろいろ全部詰めてあって、再発行手続きが面倒くさくて大変だった。現金以外のどれか一つでも戻ってきてくれと願ったが、ついに出なかった。


だが、置き忘れた財布がが戻ったこともある。通勤時刻の駅で、切符売り場で財布を置き忘れ、待ち合わせた列車のプラットホームで友人にあったときに忘れたことに気づき、公安室に行くと、そのときは届いており、予定の列車に乗り遅れることも無かった。このときばかりは、さすがに届けてくれた人に感謝した。

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県外に仕事に出かけ、路上で作業中に落としたときは、数日後財布を拾った方から電話があり、着払いで送ってもらった。このときは、拾得時は中身は空っぽで、財布だけだった。


他に、車上荒らしには、数回あった。見えるところに置いてあった財布の中身を抜いた後、そばにつんであった鞄に詰め込んであって、翌日まで気がつかなかった。鞄に入っていた金額の方が高額だったがそちらは無事だった。


あるいは、補助席のポケットに入れていた集金した現金をそっくりやられたこともある。
ドライブナビが、まだ珍しかった頃、小型ノートパソコンで組んだドラレコをそっくりやられたこともある。


そのほかに仕事現場での工具や、材料の盗難は枚挙にいとまが無い。


治安の悪い国の話を聞けば、日本の治安の良さはわかるが、「日本、すげー」という話を見るたび、それ日本の何処よ?といつも思う。
殆どの人が、心ある人だとは思うが。

雨がやんで、桜が満開であるが、午前、陽はまだ差さない。


自治会の総会があった。5年ぶりの、通常総会である。と言っても、実際の出席数は
1/5、委任状が3/5。二三年度の会長が、就任後すぐに体調を崩し、3ヶ月で交代するという波乱の幕開けだったが、皆さん頑張って1年を終えた。


議事運営に関しては、慣れないせいもあるだろうが、言いたい人は議事に関係なく勝手なことを言い出す。20年も前から実施しているのに、今頃銀行カードを作って出し入れするのは問題があり反対、等と言い出す始末。
高齢化問題も深刻で、役員になり手がいない、なっても運営や行動が出来ないなど、問題は山積みだが、それでも、繰越金が毎年多いので、会費を減額する案が、強く反対する人がいる中承認され、正午過ぎには無事終了した。


おもてなし交流プログラム二日目、間に合わないと思いつつ元内田小学校へ向かったが、
パソコンを使ったプレゼンは、終えており、寺社を巡る参加者が、やはり少なく、出発が遅れていて、なんとか間に合った。六日と同じ3人にスタッフ二人である。
おなかの大きい奥さんを連れたご夫婦と、山川さんとおっしゃる、元アナウンサーの方であった。

青空は見えたが、富士山はちょっと無理であった。

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寺宝、文字曼荼羅(1492年)を書いた日台上人像。


諏訪神社内、豪栄道の手形も見える。

力自慢が持ち上げていたという力石。100kgはあると思われる。


身重の奥さんは、諏訪神社も、長栄寺のこの階段も上った。途中に子安観音がある。

右ろうそくの裏に見えるのが、身代わり観音像。


今日も、御住職しか入れない席で、11面観音を拝ませていただく。



本殿寺も、長栄寺も丁寧に住職が対応してくれ、通常では目に出来ないものを観たり説明を受けたりで、参加者は感慨もひとしおだったに違いない。諏訪神社では、氏子でもある星野さんが対応、また、内田未来学校では、いないはずのイドクボンガの石橋さんに抹茶を点てていただいき、昨日と同じあんころ餅もごちそうになった。
石橋さんは、活動拠点であるイドクボンガで、万全の支度で待っていたが、来客が全くなく、未来学校へ来たとのことであった。


長栄寺の正式御開帳は、再来年、午の年の10月で、御朱印も発行するとのこと。是非飾り付けた御開帳も観てほしいとのことであった。ご夫婦は安産を祈念しつつ、皆満足げに感謝を口にして17時まで目一杯で解散した。


「巣」に上ってご満悦の作家さん。昨日雨の中池の中で制作していたのは、男性の作家。

制作は、まだまだ続くらしい。



元内田小学校のおもてなし交流プログラムも、内容が豊富で、全部を見るには、数回足を運ぶ必要があり、他会場も見て回りたい人にとっては、10時~17時では、時間が全く足りない。会場を回るシャトルバスも、本数派が少ないので、車でないと大変である。まあ、5月末までやっているので、何度でも足を運んでいただきたい。

内房総アートフェスの元内田小学校で開催中のおもてなし交流プログラムのうち
4月6日7日の「市原米沢の森を考える会」に参加してきた。

森を考える会会長と、郷土史家塚原茂氏のレクチャーの後、近隣のお寺と神社を巡る
プログラムである。
遅かった桜もかなり咲き、時期的のちょうど良い具合と思ったが6日は雨模様、体育館で催されている他のプログラムの出足も、芳しくない。


故加賀さんが2015年に撮影した超パノラマ写真。左は伊豆の天城峠から、右は、千葉のポー-とタワーまで。実際は筑波山まで見える。これの昼間バージョンもある。
7日以降、校舎内に展示予定である。



午前中レクチャ、午後から外回りの予定だったので、一日時間をこれに当てる方が少なく、
お昼近くなって塚原氏のスライド上映と解説が始まった。彼の調査は微に入り細に渡って、地元の人でもほとんどもうわからなくなっているようなことまで解説する。


午後の参加は、ご夫婦が一組、途中から女性が一名加わって、こちらのスタッフが4名と、ちょっと寂しい外回りになったが、雨も小雨で、なんとか回れた。


本殿寺の住職も、案内と説明に熱が入り、晴れれば富士山が見える三問に上がり、その後墓地を巡り、本堂に戻って、かなり詳しい解説があった。

原田田んぼ、右の山が新ヶ谷城趾、晴れれば左右の山が落ち込んだところに富士が見える。


山門と鐘撞き堂。金は、元は山門に有った。
山門内部は、廃寺と、老朽化等で事情のあった二寺を奉ってある。

移築した旧山門。

墓地にある日蓮500年遠忌。

鐘も突かせていただく。


2023年11月23日、春日井梅鶯三代目襲名披露口演。


また、寺宝ともいえる文字曼荼羅も見せていただいた。1492年制作の歴史あるもの。コロンブスがアメリカ大陸発見の年のものである。金ぴかの新しいのはごく最近のもの。


その後、諏訪神社へ。ここで、未来学校会員の星野氏より説明を受ける。昔から相撲が盛んで、かつては栄えたが、ついに、子供相撲も出来なくなった。一時は国技館の相撲取りも来たりしている。

シートは、土俵の養生。本番は以下の様。

私が子供の頃は、房錦の時代。海山が来たことがある。


土俵の4本柱。


三島神社へ寄った後、未来楽校で、あんころ餅と、抹茶をごちそうになる。3月の末の森での行事に続き、ここでも、茶道の先生、石橋氏に点てていただく。


その後長栄寺へ。
12面観音のご開帳は牛の年と午の年であるが、住職のご厚意でご開帳である。本番では飾り付けるので、中がよく見えないが、飾り付けがない分、よく見える。一般人が普段は入れない、住職が座る場所で燃せていただいたので、よく拝むことが出来た。

体内に記録があり、作者、来歴などが判明。笠森寺にこれの妹観音がある。

このプログラムは、7日も行われる。


キッチンカーも並ぶ。

寒い中、池の中で制作中。

体育館での他のプログラム。

なを、教室棟では、東京芸術大学壁画第一研究室作品が展示されている。


未来楽校の展示もお忘れ無く。

未来楽校の桜。

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内田未来学校の桜。


瓦窯通りの桜。


31日、シニアの会のお花見が千葉市動物公園であった。
30日にも増して気温上昇、快晴でまさにお花見日和、家族連れで結構混んでいた。
しかし、今年は桜の開花が何処も遅く、つぼみは相当膨らんでいたものの、
やっと一輪咲いていたと言っても過言では無いほどであった。


モノレール駅から集合場所の西口まで、結構歩く。

集合時刻を過ぎてもなかなか現れないメンバー、実はすでに中に入っていた。

65歳以上は入場無料なのだが、この日、免許証を忘れた。市内の他の施設の65歳以上でなければ発行されない資格確認証を見せたのだが、却下された。


予約済みなのに、受付には相当な時間がかかった。どこかのホテルのチェックインほどでは無いが。


白いパラソルがBBQ場。

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真っ黒焦げもご愛敬。 

20人の参加だったが、皆さん食欲旺盛で、食べ尽くした。


食後のくじ引きで珍しく当たりが出た。


その後は自由行動、桜を探してそれぞれ園内を散策。


テント持参組も。


わずかにピンクの花が。


カラスの鳴き声と、テナガザルの奇声園内に響く。


正門脇の桜、

つぼみが膨らむ中、ここにわずかに咲いていた。


咲き乱れるはこぶしのみ。


周辺も全く咲いていなかった。


23日に予定した市原米沢の森観桜会は、雨で流れたが、桜の開花が遅れたため、一週間後の30日になった。気温上昇で、桜も開花、文字通りの会となった。
アートフェス開催中なので、出足が心配になったようだが、普段森の整備を手伝っている仲間を中心に、ご近所さん、写真連盟メンバー、郷土史家等の他、通りすがりのバイクライダーも多数参加、そこそこの盛況を見せた。


餅つきをやり赤飯も炊き、あんころ餅や、きなこ餅、ピザや豚汁、簡易野点、差し入れの桜餅など振る舞われ、のど自慢の杉田さんも自作の「米沢の森愛唄」「新々市原音頭」など披露。良い日和の中、交流を深めた。

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アマチュア無線愛好家による分福茶釜、ハンマーも置いてある。

竹細工の鈴の根付け、今日は彼女(ご夫婦で当初から森の整備に関わっている方)のプレゼント。

喉を披露していない時は、竹細工、木工細工が得意である。

各方面の方々皆さんに挨拶をしていただいた。


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