タケチャンのblog

今日がだめなら明日があるさ、明日がだめなら明後日が・・・。何処まで行っても明日がある。

2018年04月

 4月29日、初夏のような気候で絶好の行楽日和、各地で様々な行事が行われたようだ。今年も音響を頼まれて野田の清水公園のフェスタに4時起きで出かけた。

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 昨年はツツジが真っ盛りだったが、既に盛りを過ぎていた。
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 スタートは10時からだったので余裕で仕込みは終えた。
 プログラムは宮崎小の生徒による吹奏楽と歌で始まった。
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 市の職員の方の作詞作曲による新曲も披露された。

 今年はご当地キャラクター「のんちゃん」も登場。小学生のデザインという。
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 遅れて市長到着。
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 苗木配布に並ぶ列。毎年1000本ほど用意していたが今年は600本とのこと。
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 「天空と仲間達」による「よさこいソウラン」を4曲披露、会場からの飛び入り参加者も一緒に踊って盛り上がった。苗木の列に並んだ人たちが、貰うとさっさと会場を後にするので、引き留めるのに必死であった。
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 昼前の時間、公園内で行われていた「たがふーぷ」世界選手権千葉県予選大会メンバーによる実演披露、中学生の女性は予選優勝候補。
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 決勝本戦は香川県で行われる。優勝者はこれを400回以上回すそうだ。
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 午後は西部台千葉中学高等学校吹奏楽部による演技。演歌まであって多彩なプログラム。昨年は着流しの衣装まであったが、今年は省略。さすがに迫力ある演奏だった。(ビデオは後ほどYoutubeにアップする予定)
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 のんちゃん音頭もぬかりなく歌って踊る。
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 郷土芸能おかめとひょっとこによる「おかめの舞もどき」がお囃子の音に合わせて披露。
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 最後は、フラダンス9曲が披露された。新しい趣向もあって楽しめた。
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 最後は全員で。
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 この後2度目の苗木配布があって全てのプログラム終了。
 会場のすぐ下の水のアスレチックは、時間ギリギリまで賑わっていた。





 ご参考 この日の機材
 スピーカー メイン×2、下の公園向け×1、フォールドバック×2、モニター×1
 マイク 有線×6、ワイアレス×4、他に電子楽器用ライン×1

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 動画はこれで撮ったのだが、適当に調整したままほったらかしで撮ったにしては、まあまあ音は良く録れていた。グリップがマイクと同じ形状なので、マイクホルダーにセット出来て好都合。ウインドスクリーンは「毛がぼーぼー」で効果抜群だが、この手の小さい物には、レンズが近すぎて誠に具合が悪い。この日も風が強く輪ゴムで止めたのだが、吹かれて外れた数本が映り込んでしまった。 メッシュなどで覆うなど工夫しないとすぐ映り込む。
 又、電池の持ちがすこぶる悪い、アルカリ又はニッケル水素単三2個使いだが、実際は1時間持たなかった。もちろん外部電源が繋げるので、スマホ用高容量バッテリーで駆動した。

 記録ファイルは一定時間で分断されるが、メモリー(128Gまで対応)と電源がある限り連続で撮れる。ただ、exFATでフォーマットしてないカードだと、分断された時点で、記録が止まってしまうということがあった。






 内田未来楽校のことや先の記事のことも有り、実家に頻繁に行くようになって、町内の人とも色々話をするようになった。
 実家に居た頃は年が離れていたことも有り、殆ど話す機会もなかったが、長老は既に亡く、一回りは離れていない数軒先の先輩とは行く度に会うので、真ヶ谷城のことなど、古い話もよくする。
 初めて聞く話も多いのだが、年がそれほど離れていないので、余り古い時代のことは彼にも分からない。菩提寺は廃寺となり、資料は引き継がれること無く家屋を片付ける際みな燃やしてしまって、古い資料は残っていないと聞いた。

 もっと若い頃に色々聞いておれば昔のことも少しは分かったのかも知れないが、その頃はそんなことに興味も無く聞いても右から左だった、歴史に興味がある奴が居れば残していたと思うが皆そんなことはどうでも良い時代でもあった、と言う。

 その彼が具合を悪くして入院したのだが、同室に郷土史研究家のTuさんが偶然入っており、お宅の集落の人では無いかと言って渡された記事のコピーを持ってきてくれた。

 これがその記事である。何処に載った記事かは不明。
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 記事中の人物は私の曾祖父、肖像画は、子供の頃は額に入っていたが、いつの間にか無くなってしまった。
 火災に遭って建て直したのが20代とは聞いていた。廃材を使ったため、玄関の濡れ縁や仏壇回りは欅を奢っているが、重要で無い柱には関係ないところに臍があったりして、この話を聞くまでは不思議だった。それで屋号も「新家(にいえ)」となった。
 それが現在も残る母屋である。それ以前の屋号はだから知らない。

 もう一つ不思議なのが、長男なのに「三郎平」、その長男は「静二」、そのまた長男は「三郎」なのである。家に残る焼き印は「ヤマ三」、屋根瓦にもそれは残っている。下駄などの持ち物に、その家の印としてマークしていた物、「ヤマサ」や「亀甲万」の類いである。その昔、分家したのが三男だったからという説は聞いたことがある。
 
 それ以上古いことは全く分からない。
 僅かに残る三郎平の写真、芭蕉の末裔に俳句を習いに上野に通っていた頃と、
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 51歳の時(左端)、今となっては他の人物も場所も知る者が居ない。 
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これは大正14年撮影の集合写真に写っていた肖像画、何歳の頃の物か不明である。記事の物とは違うようだ。

 その後、この記事を持ってきてくれた先輩は再入院してしまった。

 先日、知人の奥さんが天国へ旅立った。私より一回り以上若かった。
 100万人に一人という難病で医者から見放された末のことであったという。

 ・・・。冥福を祈ります。

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 昨年夏、緊急入院した弟がこの3月末6度目の手術でやっと元の体に(近い状態で)戻った。半年近くは入院していたので筋力低下は避けられず、体力が元に戻るには相当時間がかかると思われるが、日常生活に戻れてとにかく良かった。

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 その弟が一切合切の面倒を見ていた親父が、彼の入院以降、急激に体力が衰え、当初私ら兄弟が面倒を見ているときは何とか一人で動き回れたのが、歩けなくなり、デイサービスから始まってあちこちお世話になったのだが、歩くことはもちろん殆ど喋ることも出来なくなり、せっかく入った施設にも居られなくなって、入院したままになっていた。

 暖かくなってやっと介護施設に入ることが出来、先日はかなり喋るようになった。
 認知症も発症しているので、苦労した時代のことは鮮明に覚えていて細かいことまで喋るが、子供の顔を認識出来たり出来なかったり。こちらは歳も歳、弟以上に体力の衰えは深刻だが、ひとまずはホッとしているところである。

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 芸能人が番組の中で糖尿病治療をするというのがあった。真面目に取り組めば結果が出る。涙を流してまで感謝していたのに、隠れて色々やらかす。脳が命令する(これを欲望という)のに逆らえず、都合の良い言い訳を考えては禁を犯す。
 経験者としては、実によく分かる。しかし自分の体のことである、健康で居られる事の大切さに新ためて気を引き締めた次第である。

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 色んな事が起きる。彼方の世界は言うまでも無く、身の回りでも。

 不具合を修理した車に又不具合発生、ドライブレコーダー記録不能、SDカード不良で写真データ消失、必要な物を仕舞った場所が分からない、等々、此方は他人にはどうでも良いことばかりだが。

 昨日、光回線契約先を名乗るところから電話あり、初めて聞く会社名だが??
 なんと契約変更を仲介した会社が3月31日で倒産した、と!

 で、電話をかけてきた会社が全て引き継ぐとのこと。ついては不履行や不具合が無いかの確認だった。倒産した所は回線運営会社では無いので実害は無い、契約前も後も随分丁寧な対応だったが。


 そして・・・。


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