昨日、今日と、山に出かけるには天気がなあ、と思っていたら、
案の定、オープン間際の病院から、追加工事と、トラブル処理のため、
両日呼び出された。メーカーのサービスマンも、電話が切ってあって、どうなるか心配したが、
今日の午前中に何とか解決した。
旅もしばらくしてないなあと思っていたら、夕方、テレビで、奇跡の地球物語「西表島」をやっていた。
西表島に行ったのは、NHK朝ドラ「澪つくし」が終わった次の年辺りだった。
梅雨がまだ明ける前で、観光シーズンちょっと前、混み始めるにはまだ、と言うときだった。
男5人、特に決めた予定はなく、沖縄本島で戦跡巡りの定期観光後は、石垣島へ渡った。
自転車で竹富島を巡った後、一軒のラーメン屋を見つけたが、誰もいない。
すると前の畑で鍬で耕していたおばさんが「ラーメン食べに来たの? ちょっと待ってて」
暫くするとそのおばさんがシャッターを開けて中から出てきた。
「今は暇だからね。あんたたちなら残さないだろうから大盛りにしてあげる」
翌日はモーターバイクで、石垣島一周、
明日もバイクを借りれば、誰も行かないスポット(”神々の深き欲望”撮影地)を教えてくれると言うことだったが、
西表島へ行くことにした。
ジェットボートで1時間、港で迎えてくれのは1台のマイクロバス。
「イヤー珍しいな」
「なにがですか?」
「昨日は女ばっかりのグループで、今日は男だけなんて、珍しいこともあるモンだ」
しかしこちらが驚いたのは、別のことだった。
走り出してしばらくすると、道の途中で、前の車を止めて、宅急便の荷物を渡しているのだ。
そして途中の停留所では、島内移動のお客を乗せたのだ。
滝巡りのボート乗り場で我々を下ろすと、
「時間になったら迎えにくるから。これから西の端まで行ってくる」
観光バスに申し込んだのだが、島内の定期バスと、郵便配達や、宅配便を兼ねていたのだった。
ボートでしばらく行って、途中から山道に入る。
我々5人と、若い女性が二人、後、2~3人の小規模な「探検隊」だった。
その頃話題だったのは、「ヤンバルクイナ」で、イリオモテヤマネコは、その後だったような気もする。
マリユドゥの滝を目指して行く道々、出会ったのは「ヤエヤマセマルハコガメ」だけだった。
カンピレーの滝では、しばらく水遊びをして、帰路につく。
帰りのボートでは、マングローブを形成するヒルギの木の種が浮いているのを結構拾った。
売店では、良い値段で売っていたのだった。
家に帰ってから水槽でしばらく育てたが、結局冬に枯らしてしまった。
ボート乗り場に戻ると、マイクロバスが待っていた。
これからまた西の端まで往復するという。
途中、ヤエヤマ椰子の木の生えている村へ入り、しばらくすると、
「あれがワシの家だ」と、自宅を紹介した。
西の端のバス停では、誰もお客はおらず、近所のおばさんが、
「この子を預かってくれ」と言って子供をバスに乗せた。
帰りの道中、我々は、その子を相手にバスの中で遊んだ(遊ばれた?)のである。
さて、星の砂がとれる海岸は、大型バスばかりで、もう良い形のが無いので、
良いところを知っているからと、道端で車を止め、ごそごそと畑の中に入り、
海岸に出た。「ここが穴場だ」
確かに、大きめの「星の砂」が取り放題だった。
さあ、後は港に帰るだけだと、バスを飛ばし、10分ほど走ったところで、
仲間の一人が、「あっ、カメラを忘れた!」と叫んだ。
バスの運転手「良し取りに戻ろう」
「でも時間が・・・」
「なーに、この車が到着しなければ、船は出ないから大丈夫だ」
砂利道を猛スピードで取りに戻ってくれた。
港に着くと、飛行機の時間に間に合わない、とやきもきしている人たちが、
首を長くして待ってくれていた。携帯電話もない時代だ、心配したとおもうが、
誰も咎める人はいなかった。
ボートは、来るときにも増して猛スピードで、波を蹴立てて石垣島へ向かった。
ぎりぎりだったが、飛行機の離陸には間に合った。
結局、誰も海に入らない南の島の旅だった。30年近く前の思い出だ。
写真はいずれもテレビ画面